もうこれっきりどすか

 横須賀ストローストーリー 1996.3 



 一月に四日間ほど横須賀に行って来た。例によって、一人でリコーダーとストローを吹いて各地をお騒がせして回るというツアーだ。

 行くに先立って、このツアー全体を取りしきってくれるYさんが、一晩、横須賀にある米軍施設(現地の人は「ベース」と呼んでいる)を案内できるかも知れないと言う。だが、なぜそんなところに侵入できるのかは、謎に包まれていたのである。後で聞いたところによれば、Yさんの知り合いが、「ベース」に住んでいるアメリカ人女性に英会話を習っていて、彼女の夫が航空母艦の機関士をしているというような話であった。とにかく、相当に遠い関係ではあるらしい。

 ぼく自身は子供のときから、軍隊とか武器などという物騒なものには全く興味がなく、放っておけばひたすらおとなしく遊んでいるだけの「よい子」だったのだが、「めったに入れない所だよ」と言われると好奇心を抑えることができない。ともかくこの目で見届けてやろうと決心したのだ。
 そしてさらに、せっかく珍しい場所に行くのだから、手みやげがわりに新しいストローの楽器を開発して持って行こうと思ったのである。今回は、日米の親善と友好に貢献するストローを製作せねばならない。だが、軍事基地という無粋な場所でうけそうなネタはいったいなんだろうか。

 こうして三日三晩、わずかな知恵をふり絞って完成したのが「アメリカ国歌」であった。演奏するにつれて星条旗がそろそろと昇っていく仕掛けが嬉しい。旗が重すぎると揚がらないので、お子様ランチ用の小さな星条旗を使っている。こいつが一メートル近くあるストロー製の「旗竿」をけなげに登り詰めて行く姿には、たしかに人の心を打つものがある。誰もが思わず声援を送りたくなるに違いない。

 横須賀の街は海に囲まれ、しかも小高い山が多い。急な坂道を駆け昇ったら、いつも海が見えるのであった。だがここの海は、あまりのどかではない。ホテルの窓からも正面に海が見えたが、ちょうどそこが米軍基地になっていて、黒光りしている潜水艦が四艘、肩まで海につかって身を寄せあっているし、他にもいろんな物騒な船が見える。その上、左の方の入江には海上自衛隊の灰色の軍艦まで停泊しているのだ。

 「ベース」には二日目の夕方に車で乗り込む事になった。総勢日本人六名、そして基地の中にアメリカ人のR夫人が待っていてくれるはずだ。ゲートで入門許可証を手に入れる。なくしたらここから二度と出られなくなるよと驚かされる。R夫人にはすぐに会えた。しばらく彼女の案内で基地の中をうろうろする。広いので全貌をつかめないが、とにかく幼稚園から大学まであるし、映画館が二つもある。いろんな店やレストランも並んでいる。教会なんかは各宗派取り揃えて五つもある。

 いろいろ話しているうちに本日の計画がはっきりしてきた。つい先ほど、彼女の夫が乗っている空母「インディペンデンス」が入港したところで、まだ見学に行ける状態ではないからもう少し待ってくれと言う。空母というと飛行機が離着陸できる馬鹿でかい船だが、そんなものに本当に乗れるのだろうか。なんだか冗談みたいだがなりゆきにまかせるしかない。

 ちょうど五時になったときに、通行人も走っていた車もいっせいに停まってしまった。何事かと思ったら、あちこちの建物の星条旗を下ろしているところであった。こういう時にはみんな脱帽して立ち止まるという作法があるらしい。でもこれはちょっとやばいではないか。ストローで神聖な「国歌」を彼らに聞かせたら、喜ぶどころか「無礼者!そこへ直れ、手討ちに致す!」と怒鳴られるかも知れない。基地内では日本の法律なんか通用しないのだ。逮捕、監禁、本国召喚、軍事裁判、スパイ容疑、拷問という具合に、思いはどんどん悪い方へ拡がってゆく。

 六時に「インディペンデンス」の前に行ってR氏に出会った。小屋のような建物で姓名を申し述べ、入船許可のバッジを畏れ多く受け取る。船は大きすぎてかえって威圧感がなかった。だいいちまったく揺れないのである。飛行機が発着する甲板はサッカーコートのような広さだ。しかも、その飛行機を下の階の整備場に運ぶための途方もない大きさのエレベーターが三つもある。その上、この船の中に六千人近くの乗組員が生活しているのだ。
 去年の震災のときに、アメリカが空母を神戸沖につけて避難所に提供しようと申し出たのに日本が断ったという事があったが、それがこの船だったのである。惜しいことをした。

 内部の通路は非常に狭く、はしごのような階段は鎖の手すりをしっかりつかんで登る。軍用艦なので配管や配線はむきだしだ。船の一部が戦闘で破壊されてもそれ以上水が入らないようにするためか、ところどころ扉が完全に密閉できるようになっている。前後左右上下に迷路のように部屋がつながっていて、迷子になったら一生ここから出られなくなりそうだ。

 ひとしきり船の中を見せてもらったら、 R氏が「しばらくここで待っててくれ」と言い残してはしご段をすばやく登っていった。しばらくすると降りてきて「OKが出た」と言うので付いて行く。五、六回はしごを昇ったら、いきなり操舵室にたどりついた。この船で一番重要な場所である。

 とんでもない部屋に来てしまったわけだ。例の丸くて突起のある舵もあるし、前進後退の巨大なレバー(でいいのかな)もある。レーダーもさかんに働いていて、この付近の様子がよくわかる。「決して怪しいスパイなんかじゃないからね」という演技をしながら詳しく見て回る。ところが、ここには二人の男がくつろいだ雰囲気で仕事をしており「写真をとってもいいよ。」と気楽に言うのだ。女学生なら「ウッソォーッ」と叫んでのけぞるような情況だ。カメラなんか持っているだけで没収だと思っていたから、そんなものを持っている奴は最初からいるわけがない。かえすがえすも残念なことであった。しかも、この船員は追い討ちをかけるように「それが船長の椅子だ。座っていいよ。」と勧めてくれる。船長の留守をいいことに座ってみると、ふかふかしていて四方が見渡せる。この巨大な船をここで操るのかと思うと、まるで天守閣にいる殿様のような気分になる。Yさんが「国歌、国歌」としきりにせき立てるが、こんな所で吹いて「さては貴様、ストロー国の隠密だな」と疑われては厄介なので、ご遠慮申し上げた。

 このあと船員用の食堂でコーヒーを飲みながら、各種のストローを吹いていたら、あたりにいた乗組員やその子供たちが徐々に集まってきた。「国歌」も大好評で、べつに誰も敬礼するわけでなく、拉致されることもなくて、おおいに盛り上がったのである。

 しかし、こんな一介のストロー吹きを、世界最大級の空母のキャプテンの椅子に気軽に座らせてくれたのはなぜなんだろう。ちょっとした手違いだったのか、アメリカがまるきり無頓着なせいなのか、それともこの国の懐がとても深い所以なのか、今もってちっとも分からないのである。




  
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