霞か雲か匂ひぞ出づる  さくら



さくら専用ストローの写真
  
さくら専用ストロー演奏写真
 花といえば「さくら」だ。この国では昔からそれがきまりだ。
 「チューリップ」や「エーデルワイス」など、花にちなんだ楽器は他にもある。だが、「さくら」だけは欠かすわけにいかぬ。是が非でも備えておきたい。備えがあれば憂いも減るであろう。
 というわけで 98年の春に名作「さくら」が誕生したのであった。めでたい。

 日本古謡「さくら」の雅びな楽の音とともに、しずしずと枝が伸び上がってゆく。この「枝」は、╳印が縦にたくさんつながったような構造で、ややぎこちなく、そして思わせぶりに伸びてゆく。(いったいどうなるのかな)と、観衆はその成り行きに目が離せなくなってしまう。
 そして、歌が「見渡すかぎり」まで来ると枝が伸び切り、その刹那、先端が鮮やかに開く。というか、たたまれていたストローの束がくるっと拡がって星形になるのだ。つまりこれは、つぼみが開いたつもりなのですね。
 喰い入るように見ていた人にとって、先が拡がるというのは文字通り予想外の展開だから、その瞬間、場内から一斉に「あ」という驚きと賞賛の声があがり、それに続いてどっと受けるのがふつうだ。だが、こどもたちの前でこれをやると、よそ見をしていて感動の瞬間を見逃すやつが必ずいる。また、たとえ見ていても「あっ、星や」などと叫んで演奏者をげんなりさせるのである。

 ところで、この伸びる構造の名前は何か。一般的には何と呼べばよいのか、それが知りたい。こどもたちはこれを見て「マジックハンド!」と叫ぶことが多いのだが、いや、それは違うだろう。
 とはいうものの、長いあいだ正式名称が分からなかった。
 だが、最近になってようやく判明した。結局のところ「パンタグラフ」と言うのだそうだ。(なあんだ)という気がするではないか。パンタグラフとは電車の屋根にしがみついている例の物件だけを示す言葉だと思いこんでいたが、この手の仕組みはみんなパンタグラフなのであった。
 というわけで、「さくら」はパンタグラフ機構を持った珍しい楽器だということになる。(*)

 この楽器が誕生したきっかけはちょっとしたはずみであった。「さくら」という目標に向かって一路邁進した訳ではない。ストローで遊んでいるうちにいつの間にかこんなものが出来上がった。そんな感じなのだ。
 「ストローで遊ぶ」というのも尋常な光景とは言えないが、なにしろ私のまわりにはストローが山ほどある。日々の暮らしはつつましいが、ストローの備蓄だけは贅沢だ。倒産したストロー工場みたいなものである。だから、笛の材料にするだけではない。遊びにも使う。いろんなものをストローで作ってみる。そこで、楽器以外にもいろいろなストロー製品が出現するのである。
 「パンタグラフ」もそのひとつであった。手元をほんの少し動かすだけでシュッと伸びる、あの仕組みはなんだか嬉しい。ストローで作ってみようではないか。あるとき、そう思い立ったのである。

さくら専用ストロー開花写真さくら専用ストロー開花写真さくら専用ストロー開花写真
 ところが最初から手こずった。
 まず強度の問題だ。ストローに「強さ」を期待するのもどうかと思うが、パンタグラフの手元のところには全体の重さがかかる。丈夫でなければならない。ストローを二重、三重にしてみたり、硬いストローを使ったり、いろいろと対策を講じた。
 ストロー同士をつなぐ「軸」には細いストローを使う。軸を通す穴が大きいと、その部分が折れ曲がりやすくなるからだ。さらに、本体がこの軸から外れないようにせねばならない。試行錯誤の末、軸の両端を軽く火であぶって太くするという方法が定着した。
 また、意外に難しいのが、軸を通すための穴をあける作業である。穴が一つだけなら簡単だが、パンタグラフを作るには穴が三つずつ、つまりストローの両端と中点に必要である。さらに、何本ものストローにすべて同じ間隔で穴をあけなければならない。ベルトに穴をあけるためのレザーパンチという道具を使うのだが、正確にあけようとしても失敗が続き、それなりに力も必要なので疲れてくる。心は千々に乱れるのであった。
 しかも三本の軸が平行でないと無理な力がかかるから、穴の角度にも気をつけなければいけない。まことに手ごわいのである。
 新たな問題が次々と立ちはだかり、その都度どうにか乗り越えて、ある冬の夜、ようやくパンタグラフが完成したのであった。

 さて、このパンタグラフは楽器ではないから練習する必要がない。何よりもそれが嬉しい。ぴゅっと天井まで伸ばしたり、水平に突き出したり、あるいはすばやく縮めてみたりして、ただ遊んでいればよい。まことに気楽なのである。
 ところが、この至福の時間がいつまでも続くわけではない。やがて必ず飽きが来る。飽きなければ一生こうして遊んでいられるのだが、残念なことにそうはゆかぬ。人類の哀しさである。
 では、退屈したらどうするのか。
 「飽きたからやめる」
 それが賢明な選択なのかも知れない。だが、私にはひまと好奇心が充分にあった。さらに追究した。
 パンタグラフはなぜまっすぐに伸びるのか。支点がストローのまん中にあるからだ。では、支点の位置を移せばどうなるか。頭の中で考えたがよく分からないので、支点の位置をずらしたものを実際に作ってみた。すると、手元を動かせば曲がりながらそろそろと伸びてゆき、ついにはぐるっと手元に戻って、きれいな星形ができるではないか。静かに深く感動したのであった。
 ただし、繰り返し遊んでいるとまたしても飽きてくるのであった。

さくら専用ストロー開花写真  ちょうどその頃、さくらの季節が近づいていた。花開く楽器を漠然と求めていたのだろう。「演奏しながら枝が伸び、最後に花が咲く楽器」をこのパンタグラフ機構を利用して作ろうと思い立ったのである。
 まず、まっすぐに伸びるパンタグラフの先に星形に開くパンタグラフを取り付けることにする。しかし、単純に連結すると「枝」が伸びながら「花」も一緒に開いてゆくことになる。それではつまらない。枝がまず伸びて、最後に花がパカッと開いてほしい。その方がインパクトがあるだろう。
 ではどうするか。二種類のパンタグラフをつなぐ部分をスライド式にしてみた。こうすれば、下のパンタグラフが伸びるときに、上には力がかからない。「枝」がほとんど伸びきると、このスライド部分の「遊び」がなくなる。すると上のパンタグラフに力がかかり花が開くことになる。
 パンタグラフを伸ばしてゆくための「動力」についても考えねばならぬ。
 動くしかけのついたストロー楽器は、それまでにもいろいろあった。そして、それらはすべて息の力で動いていた。しかし、この「さくら」を持ち上げるにはかなりの力がいる。日頃、呼吸筋を鍛えてはいるが、こいつはちょっと無理だろう。そこで考えた。
 二本のストローの笛が口からV字型に開く形にして、そこにパンタグラフの根元をつける。曲を吹きながら、二つの笛を両手で徐々に挟み込んでパンタグラフを伸ばそうという計画だ。
 もちろん演奏も大切だ。二本の笛でどんな「さくら」にするのか。この曲はやはりみやびな雰囲気にしたい。あれこれ試したあげく、なんとかそれらしい響きの二重奏になった。リードの部分が接近してV字型になっている二つの笛が完成したのである。
 それぞれの笛の先端にパンタグラフの根元を取り付ける。この部分には重みがかかるので、ぐらつかないようにしっかりと固定する。
 またひとつ問題が発生した。演奏のはじめには左右の手がやや離れ、手の甲はどちらも上を向いている。曲が進むにつれて両手を少しずつ縦にしながら接近させ、最後には拝むような形にする。だから、笛の本体にリードがしっかり固定されていると、最初は横一列(――)だったリードが、だんだん「ハ」の字型になってゆき、最後には縦(‖)になる。もちろんこれでは駄目だ。リードがいつも横一列に並んでいないと演奏はできない。
 この問題は結局、太さが少し違うストローを使ってリードと本体が回転できるようにつないぐことで解決した。例によって、ここにも「遊び」が必要なのであった。

 こうして、ようやく「さくら」が完成した。さいわい世間の受けも上々で、春ばかりでなく一年中使われる重要なアイテムとして、次第に不動の地位を確立していったのである。
 だが、この名作「さくら」も、ときには思いがけない反応に遭遇することがある。「なんだ手で動かしてるのか」、「それって邪道じゃないの?」などと揶揄されるのだ。
 しかし、たかがストローの笛だ。そんなに重大に考えることはない。軽やかにこう宣言しようではないか。
 「これでいいのだ!」


* 「たなばた」が誕生した2006年までは「さくら」がパンタグラフ機構を持った唯一の楽器であった。


2010.4.20 

  
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