風流な楽器である。
みどり色でバッタのような姿をしている。
でも、これを人に見せて「なんだと思う?」と訊ねても、なかなか「バッタ」とは答えてくれない。「カマキリ!」というお声が返ってくることが多いのである。
たしかにバッタの足がカマキリの「カマ」のようにも見える。だが、カマキリの曲なんてあるのか。
この楽器で演奏する「虫のこえ」は、明治の末の『尋常小学読本唱歌』に登場したというからもう百年も前だ。もはや古典である。曲名だって本来の表記は「蟲のこゑ」である。凄い字面だ。「虫のこえ」なら軽く聞き流せる感じだが、「蟲のこゑ」だとそうもいかぬ。居ずまいを正してじっくりと鑑賞せねばならない。そんな気になる。そして、その音を深く味わいつつ、来し方行く末に思いを馳せることになりそうだ。
材料のストローは直径5ミリでやや細身である。現在ではたいてい直径6ミリのストローで楽器を作っているが、「虫のこえ」が誕生した97年頃には、カラフルな6ミリのストローをあまり持っておらず、5ミリのストローの方が色の種類が豊富だったのでこうなった。太さによってさほど音色が変わるわけではないのだが、細いストローの方がどちらかと言えば繊細で音が小さい。そして、それがこの歌の雰囲気によく合っているのである。
そういえば以前、ある合唱団と共演したときに6ミリのストローで「虫の声」を作ったことがある。その時のキーがいつもの楽器より6度も低かったので、図体が妙に大きく、トノサマバッタみたいになった。響きが地味なので、今のところあまり使う機会がない。
外観はともかくとして、この楽器のウリは「意表をつく音色の変化」にある。
はじめのうち、「事件」は起こらない。「あれ松虫が、鳴いている」のところまでは、ほかの多くのストロー楽器と同じく二枚リードの音色だ。それなりに美しい二重奏ではあるが、ことさら驚くほどのことではない。ところが、その後の「ちんちろちんちろちんちろりん」のところで突然、本当の虫が鳴くような音に変わるのだ。会場がざわついていてもよく通る澄んだ音色である。
そして、次の「あれ鈴虫も、鳴きだした」では、また二枚リードの音色に戻り、「りんりんりんりんりいんりん」で再び虫の音が響く。
その後はおしまいの「ああおもしろい、虫のこえ」まで「普通」の音色が続き、最後に再び「虫のこえ」がしみじみと場内に響き、静かな余韻を持って終わる。そして、しばしのためいきの後に大きな拍手をいただく。そんな按配だ。
最初に音色が変わった瞬間にはほとんどの人が「はっ」という顔になり、目を大きく開く。中にはあっけにとられて口も一緒に開く人さえいる。舞台からたくさんの目や口が大きくなるのを眺め渡すのは、いつもながらまことに気持ちがよいものである。
|
【エアリード】(Air reed)
内側のストローの先端は「へ」の字型に整形してあり、そこから出た細い息のビームが外側のストローの丸い穴の縁にあたって音が出る。
|
|
【エアリードから音が出るしくみ】
細いビームになってエッジに当たった息は、安定した状態で管の内外に分かれるのではなく、それぞれの方向への道筋をすばやく交替する。
息がの流れが (a) になると、そのビームは内側に引き寄せられて (b) に移動する。(b) になると、今度は反対の力が作用して (a) の流れに戻る。息の道筋はこのプロセスを繰り返し、 (a) と (b) が目まぐるしく交替することになる。つまり息の道筋そのものが振動するのであり、このしくみをエアリードという。 |
音色が劇的に変わる「秘密」は、楽器の先端、つまりバッタのうしろ足の部分にある。実は、その部分がリコーダーの歌口と同じようなしくみになっているのだ。この構造には「エアリード」という名称があって、フルートや尺八などが鳴るのも同じ原理である。ダブルリードとは違って、エアリードは「ピーッ」という澄んだ音がする。同じストローという材料を使っていても、発音のしくみによって音色はまったく変わるのである。つまり管楽器の音色は、何よりもまず「構造」で決まるのであって、それに比べれば「素材」による違いはわずかな程度に過ぎない。
ストローでエアリードを作る方法はいろいろあるが、この楽器では太さが違う二本のストローを使っている。
(1) 太いストローの側面にハサミ、パンチ、線香などを使って丸い穴をあける。
(2) 細いストローの先端を火であぶったりつまんだりして「へ」の字型にする。
(3) 「へ」の字型部分が熱で溶けていたら息が通るようにハサミで形を整える。
(4) それを太いストローに差し込み、穴の縁に息のビームが当たるようにする。
(5) 吹き口は長くてもよいが管体が長すぎると音が出にくくなるので注意する。
(6) 吹いてもなかなか音は出ないものだが、あきらめずに試行錯誤を繰り返す。
ところで、このエアリードをただ吹いても、虫の鳴き声には聞こえない。「ピーッ」という高い音が鳴るだけである。これを虫の声にするには演奏技術がいるのだ。いや技術というほどでもないかも知れないが「RRRRR」という巻き舌で吹くのである。この巻き舌の奏法はフルートやリコーダーでも使われることがあり、「フラッタータンギング」というそれらしい名前がついている。
もっとも、ただ巻き舌で吹けばいいというわけではない。
ストローで作ったエアリードの笛は細いから、息が強すぎるとうまく鳴らない。だが、弱い息での巻き舌はなかなか難しいのである。その上、実際の「作業」はもっと大変だ。
「ダブルリードを鳴らすために強い圧力で吹いていた直後に、リードを挟んでいた唇をすばやくゆるめてダブルリードが振動しないようにして、非常に弱い息で巻き舌で吹く」わけで、それなりの修練が必要になる。
演奏は基本的に二重奏である。メロディを構成している音を低い方から階名で表せば「ドミソラシド」で、レとファがないちょっと珍しい音列だ。二重奏だから二つの笛が並列していて、左側が「ドソラシド」、右側が「ドミファ」、音の配分はやや変則的になっている。
そして、「主役」の虫の音を鳴らすときには、すべての指穴をふさいで先端にまで息を通るようにし、巻き舌で吹くのである。二つのエアリードはそれぞれ管の長さを調節して、右側は「ソ」、左側は「ラ」になっている。「ソーラーソーラーソーソソソ」のところは巻き舌で吹きながら、指使いをコントロールして「ソ」と「ラ」を交互に出すことができる。また、最後に聞こえる「虫の音」は、左右の「ソ」と「ラ」を同時に鳴らして、しみじみとした余韻を残すのである。
ところで今までの経験では、急に音色が変わったとき、大人のほうがびっくりするようだ。小さなこどもは機嫌よく一緒に歌うばかりで、そもそも音色が変わったことにさえ気がつかないことがよくある。
以前、幼稚園で演奏したときに「虫のこえ」を聴いても誰も驚かない。不思議なのでつい訊ねてみた。
「なぜこんな音がするのか分かる?」
すると、一人が大声で答えてくれたのであった。
「虫の曲だから!」
2007.11